図書館に行こう
現在、こんな本を読んでいる。
図書館を題材としたミステリーだ。
なかなか言い回しが面白く、読んでいてくすっと笑う箇所もある。
第一話を読んでいて、思わずぐっとくる台詞に出会った。
図書館の司書、能勢の言葉だ。
「図書館には本しかない。でも本だけはある。お前ら、この中にどれだけの広い世界がつまっているか、知っているか? 知らないだろう? だったらまず、知ろうとしろよ。こんなものと片づけるま前に、まず、試せよ。試してくれよ。書物の旅をしてみてくれよ」
そうなのだ。本の世界は広い。実に広い。
僕がこのことに気づいたのは大人になって随分経った頃だった。
気づくのがあまりにも遅くて、後悔した。もっと早くに気づけていれば、と。
子供の頃の僕にとって、本というのは学習資料の一つだった。学校や色々なところで、「最近の子供は本を読まない」などと言われていた。そう言われると、やはり本を読むの方が偉いということになる。それってつまり、大人の都合上、本を読むのがよろしいということでしょ? つまり勉強の種になるから。
漫画を読んでも大人は褒めないけど、本を読めば褒める。
つまり本はそういうものなんだ。
そう考えて、勝手に本を遠ざけた。
しかし長じて徐々に本に触れるようになり、本の魅力を知るようになると、本を読んでこなかったことを後悔する。本は本当に色々な世界を教えてくれる。小説が物語を教えてくれる。人の感情、行動、心理を教えてくれる。知識が世界を広げてくれる。この世界には様々なものやことがあるんだよ、と。
あの、活字ばかりで読む気がしなかった本。
しかし、こんなにも魅力的な本。
そんな本が無料でいつでも借りられる場所、図書館。
そこは天国だ。本の魅力を知っている者にとって。
最近、けっこう本気で「図書館に住めたらなあ」と思う。そうでなくとも、もっと図書館に近い場所に住めたら、と思う。だって、僕の住んでいる場所の近くには図書館が無いのだもの。バスで十五分揺られて、やっと近郊の図書館に辿り着く。
それでも蔵書に物足りなさを覚えるから、満足するためにバスと電車を使って一時間半かけて中央図書館に行く。そこはもう、天国だよ。楽園だ。
本の素晴らしさに気づけたら、もっと世界が広がる。
本は素晴らしくて楽しいものなんだよ、と伝えられる大人が増えたらいいのにな。子供ってひねくれているところあるから、やれって言われるとやりたくなくなる。大人が怖い顔して「本を読みなさい」と言うと、よけいに読まなくなる。
そうじゃなくて、もっと本を楽しめるようにしてあげたらいい。
本は最高に楽しいよ。
もっともっと本の旅を楽しもうよ。
上の能勢さんじゃないけど、僕も「楽しもう」と言ってあげたい。
最近の若者は……
最近の若者は本を読まないのだろうか。
しかし、芥川賞をとった又吉直樹さんの出ている番組で、最近本を読む若者が増えたと言っていたような気がする。それを見て、「ほう、ついに活字離れと嘆かれる風潮もお終いか?」と思ったのだ。単純に嬉しかった。
本の話題に華を咲かせる若者ってなんだかいいじゃない。
又吉さんもまた、芥川賞の会見で良いことを言っていたな。
僕の本を読んで、本を嫌いにならないで欲しい。百冊読んだら好きになると思うから、本を読んで欲しい。というようなことを。
正直、初心者が百冊の本を読破しようと思うのは、かなり大変なことだが、でも言い得ている。それだけ読んで、本を好きにならない人間はいないだろうな。
もっともっと本が好きな人間が増えればいいな。
本を敬遠せず、楽しんで親しんでいけたらいい。
僕はかつての自分に言いたい。なんか面白い世界は無いかな?と不満を漏らしていた僕に、
「そんな不満そうな顔してますけど、本屋行けば、いい本ありまっせ。世界広がりまっせ」
と。
いつの時代にも、そっと本は寄り添ってくれている。後はこちら側が手を伸ばすか伸ばさないか、なのだ。
一度、本を開けば、そこに世界が広がっている。
本の旅がはじまる。
旅をはじめよう。
そのために図書館に行こう。
図書館ミステリーと言えば
こんな本もかつて読んだことがあるのだ。
この本もぐっときたなあ。
レファレンスカウンターで働く男の話。
なかなか熱いのです。
余談:僕の夢
池袋のジュンク堂並みの本屋が徒歩五分のところにあって、しかもその周辺に図書館もあるところに住みたい。しかもその周囲には古書店が林立しているんだ。
あ、でも、図書館と書店って競合するのか? だとすると隣接することって無いよな。うん? でも、書店が入っているビルに図書館も入っている事例も知っているぞ。
叶わないかなあ。夢の本の街。
そうか、神保町か池袋に移住すればいいのか。
……ぐう、金が……。